Oct 12, 2009

かお28

とはいうものの(最近の話題からの接続詞です、ご了承ください)
人間はパターン化により複雑なものを単純に読みとる
一方で
対象に複雑な"要素"を付加しようとする傾向があるようである


ある小学校で子供たちと、ロボットを実験的に共生させた
始めの1週間は子供たちがよってたかって
ロボットに話しかけ、触り、周りを取り囲んでいた

しかし、2週間後にはその存在は子供たちにとって
新鮮ではなくなり、だれも近寄らなくなった

するとある子供が言った
「かわいそう」
ロボットが悲しそうに、寂しそうに見えたのである
そしてまた、ロボットの周りには"友達"がもどった


冷めた言い方をすると
プログラムガチガチの奴らに
さみしいやらかなしいやらもっと遊んでほしいやらの
"感情"
は生じない

1人でいるとさみしい、さみしいと、かなしい
という人間の経験からくる感情が
投影されているだけなのである

機械仕掛けの単純ロボたん(機械的にはとっても複雑ですが)に
人間が"感情"という複雑情報を付加して
勝手に対象がその感情を発していると読み取ってしまうのだ

人間のこの感情を投影してしまうという行動は
ある意味で、とても便利だ

単純化させ、パターン化させたロボットが
たとえ うれしい感情を前面に出したような
完璧な笑みを浮かべなくとも
恐怖におののいた引きつった顔を表現できなくとも
人間は単純化された「かお」を
複雑に読み取ってくれる

形態的な要素の単純化・パターン化を行ったとしても
身体的な要素の単純化・パターン化は行われない

かたちを、人間に最大限に近づけなくとも
人間を想起させるような、
単純化され、パターン化することのできる形態であれば、
人間は、対象の身体から感情を読み取るという
複雑化を行うことができる


なんとも好都合ですなww


Oct 1, 2009

かお27

こんなにもパターン化をし
見た事象を単純化してしまう 人間

そんな人間の目にうつる
「ロボット」 の 「かお」 を
「人間」   の 「かお」 に
酷似させる必要があるのだろうか

"ひとーひと コミュニケーション"において
重要な「表情(かお)」という複雑な情報を
あえて複雑なまま ロボットに表現させ(ようとして)
複雑すぎる情報に さらに
不気味さ 気持ち悪さ という複雑情報が(やむを得ず)付加された上で
人間とロボットがコミュニケーションを
はかろうとしているのには 弱冠の
ばからしさ を感じる
(もちろん人間とは何かとかゆー名目でそうすることは多いに結構だと思ってます)



「口先ではわらっているけど 目が笑ってない」

ロボットはこれで良い
(人間同士だと 関係に多少の亀裂を生みかねないけれども)

というよりこの段階で あえて止めるべきなのではないか
人間にとってロボットは
ちゃんと笑っていると認識できる
笑いのパターンを示している
単純化された「笑い」の要素が
最小限に表現された顔であれば
問題ない

つまり
ロボットの かお は
おのおのの 表情 が
単純化されて表現できていれば問題ないのである

人間がパターン化によってつくりだす
単純化された 「かお」 を
ロボットに表現させ 人間がそれを理解することが
「ひとーロボ コミュニケーション」
を円滑に行う 十分条件であり

複雑な表情によって細かな感情の疎通まで行わせるのは
「ひとーロボ コミュニケーション」 における
必要条件ではない